道の駅「秋鹿なぎさ公園」から昨夜すっ飛ばした道(国道431号)を戻る。 宍道湖沿いを走るこの道は普段は快走路っぽいけど、朝のラッシュ時は結構混む。そんでペースが早い。 のんびり走ってたら何台もの車に追い抜かれた。 この431号とほぼ並行して走る電車がある。一畑電鉄北松江線。 この路線エリアにはある「日本一」が存在する。下の写真がそれ。 ちょっと見づらいが、 「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」駅。 実はこれ、日本一長い駅名。 日本一になるために数年前変名したらしい。 |
|
↑日本一名前の長い駅(松江市打出町:島根) |
|
いったん松江市街地に入り、県道で大根島にむかう。 この島は宍道湖と日本海の間に位置する中海に浮かんでおり、八束郡八束町としておよそ4500人が暮らしている。 何本もの橋だけで結ばれたその特異な島は、地図で見てずーっと行きたかったところ。 高麗人参と牡丹が名産品として知られている。 |
|
↑湖に浮かぶ島の町、八束 高麗人参の畑(八束町:島根) |
|
↑八束町は国内で3本の指に入る高麗人参の産地 |
|
大根島を後にして、境港市(鳥取県)に入る。 この町はマンガ家、水木しげるの故郷として、 駅前に「鬼太郎ロード」なるものをこしらえ、全国的に有名になった。 目玉のオヤジやネズミ男などの、ユーモラスなオブジェ数十体が出迎えてくれた。 |
|
↑遠くに見える境水道大橋で美保関に渡る(境港市:鳥取) |
|
境水道大橋で美保関町に渡る。 橋の突き当たりを右に行くと「関の五本松」や灯台があるが、以前行ったので今回はパス。 国道トンネルで日本海側に出た。 美保関町は92年、いん石が民家を直撃したことで話題になった町。 町は、ここぞとばかりに「メテオプラザ」なる観光施設を建設したが、入りはイマイチのよう。 そしていん石が落下したお宅の横には、立派な記念オブジェが作られていた。 車を降りてボケーと眺めてたら、 近所の方が「家の人に頼めば、落ちた穴見せてくれるよ」と 家の方を探してくださったが、あいにく不在。見たかったなー、残念。 |
|
↑美保関いん石が屋根を貫いた民家(美保関町惣津:島根) |
|
美保関町から県道37号線で島根町に車を走らせる。 島根半島の北側を走るこの県道は、 ほぼ全線が1〜1.5車線で小さな集落を結ぶローカルムード漂う道。 ただ、いたるところでバイパス工事が進んでいた。 このあたりの漁村は山陰地方独特の赤瓦の屋根が多く見られた。 島根半島の日本海側は、これといってなにもないけど また訪れたくなるような良い雰囲気でした。 |
|
↑赤瓦の屋根が続く島根半島の漁村(島根町大芦:島根) |
|
島根町のお隣、鹿島町にある佐太神社にやってきた。 この神社は出雲二の宮。 要するに、出雲の国一の宮である出雲大社の次に立派な神社(でいいのかな?)。 大社造という、三角の屋根の社殿が3つ並ぶ。 だだっぴろい駐車場は閑散としていて、お昼寝中の営業車がぽつねんととまっていた。 |
|
↑佐太神社(鹿島町:島根) |
|
鹿島から広域農道をひた走り、平田市に到着。 人口3万人弱のこの町には、「一式飾り」という面白い伝統工芸がある。 ナベ、ヤカン、お皿などを組み合わせて、人や動物を表現する一式飾り。 市の常設展示館で拝むことができた。(下の写真) |
|
↑一式飾り 常設展示館にて(平田市:島根) |
|
平田市から次の目的地、出雲大社までは国道ですぐなんだけど、 そのまえにちょっと平田市の南にある斐川(ひかわ)町に寄り道。 斐川町の散居村の景観を見たかったからだ。 散居村と言ったら富山の砺波平野が有名だが、 ほかに静岡の大井川町と、ここ斐川町の3つが三大散居村とされている。 どこか見下ろせるスポットがないかと役場を訪ねた。 「まだ田に水が張ってないですからねー。2週間後くらいが水が張られて一番キレイなんですよ。」とのこと。 見るには平田の北の山が一番だけど、斐伊川の堤防でも見渡せると聞き、来た道を戻る。 家屋敷を囲む築地松(ついじまつ)は、 日本海から吹く強風から家屋をまもるためのもので、北側に植えられている。 だから北から見る景観が一番良いらしい。 |
|
↑斐川町の築地松 林の向こう側に家屋がある うーん、いい写真が撮れなかった・・・(斐川町:島根) |
|
再び平田市に戻り国道431号を西へ。 ほどなく出雲大社に到着。 これだけの大観光地だから駐車場有料っぽいなー、やだなー ということで大社からけっこう離れた「出雲阿国の墓」前に車をとめ、テクテク歩く。 これが結構遠い。やっとこさ着いてみたら、駐車場は無料でした・・・。 |
|
↑出雲大社神楽殿 さすが大観光地、修学旅行生がわんさかいた。 (大社町:島根) |
|
でっけぇ!!! 総重量3トンなり(大社町:島根) |
|
出雲大社を出発するとすぐ「旧大社駅」という看板を発見。 この駅は平成2年に廃線になった路線の駅。 大正6年にできた駅舎は内部も見学自由で、ホーム跡に出ることもできる。 ホームでは高そうなカメラを手にしたおじいさんが、破竹の勢いで撮影中でした。 |
|
↑旧大社駅(大社町:島根) |
|
↑旧大社駅のホーム レールも残っている |
|
大社町から出雲市を抜け、簸川郡佐田町、飯石郡掛合町を経て 飯石郡吉田村の山内集落に到着。 山内はかつて、「菅谷たたら」と呼ばれるたたら製鉄を生業としていた集落。 「高殿(たかとの)」という精錬所が、日本で唯一完全な形で残っている。 集落を見下ろす高台にある「生活伝承館」を訪ねると、 ガイドのおとうさんが案内をしてくれた。 |
|
たたら製鉄の集落・山内 右手奥のあたりに高殿がある (吉田村山内:島根) |
|
たたら製鉄とは、山で取れた砂鉄や砂金を木炭と一緒に 3日3晩高温で溶かし作る製鉄法。 たたらで僕が思い出すのは「もののけ姫」 実際、宮崎監督は山内まで足を運び色々と調べていった。 作品中の「たたら」の建物はこの高殿がモデルとのこと。 |
|
↑高殿 大正時代まで使用されていた |
|
ただ、ガイドさんがいうには、たたら場は女人禁制で、 映画のように女性がふいごを踏んだり、ということは無かったそうだ。 また、この高殿では、炉への送風方法はふいごによる足踏みではなく、 外の空気を通風孔で送り込む仕組みだった。 |
|
↑高殿内部 中央奥にあるものが炉 作業時は相当な暑さだったに違いない |
|
↑炉に砂鉄と木炭を入れ3日3晩溶かす この炉は製鉄のたびに作っては壊した 左は竹製の通風パイプ |
|
山内のたたら製鉄は大正10年、その火を落とした。 現在も山内には数世帯が暮らしているが、ほとんどが出雲市や斐川町まで働きに行っている。 ガイドのおとうさんの丁寧な説明がとっても嬉しかった!僕一人なのに1時間近く案内をしていただきました。 たたら製鉄に興味がある方にはオススメのスポットです。 |
|
山内集落には、今も数世帯が暮らしている |
|
吉田村を出たのは5時過ぎ。 掛合町まで戻り、国道と県道を走り三瓶山へ。 |
|
↑県道30号線 三瓶山、定めの松付近(大田市:島根) |
|
このあと大田市大森の石見銀山に行きたかったんだけど、時間的に施設見学は間に合わない。 でも、せめて大森の町だけでも見たい。 急ぎ足で三瓶山を越え、大森集落に到着したのは陽も落ちかけた7時少し前。 昼間は多いであろう観光客の姿は見えず、家はどこも晩ご飯の最中。 石州瓦の赤屋根が集落をあたたかく包んでいました。 好きだなー、こういう空気。 |
|
↑石見銀山 大森集落(大田市大森:島根) |
|
大森から県道経由でひさびさに国道9号と再会。 大田市の隣、仁摩町を通過。 仁摩町の「仁摩サンドミュージアム」には世界一大きな砂時計があるのだが、 もちろんこんな時間まで開館してはいない。 それより、とりあえずお風呂に入りたいんだ。 8時ころ温泉津(ゆのつ)温泉に到着。 元湯「湯薬泉」で入浴。200円。 ここの湯は白く濁り、湯船は赤茶けていてかなりインパクトがあった。 この温泉津温泉がある町の名は、そのまんま「温泉津町」。 すごくかっこいい町名。合併で消えちゃうのもったいないよぅ・・。 |
|
↑ひなびた温泉津の温泉街(温泉津町:島根) |
|
温泉津温泉元湯 湯薬泉 入浴200円、洗髪は+50円 |
|
旅の垢を落としてしてほっと一息。 さぁ、今夜は山口県まで行くぞ! 9号線で江津(ごうつ)市、浜田市といった石見の地方都市を走り抜ける。 このあたりの夜の9号線はうら寂しくて大好きだ。 |
|
↑夜の国道9号線(浜田市折居町付近?:島根) |
|
ちょっとお腹がすいてきた。 しかし、たまに見えるはポプラの赤いネオンのみ。 結局益田市まで走り、「牛丼のふじはら」というマニアックなお店で豚丼を食べた。 やはり牛はないのね・・・。 ↑山陰で最もお世話になるコンビニ 弁当がまいうー |
|
益田市で9号線ともお別れ。 国道191号線で萩方面に車を走らせる。 交通量がぐんと少なくなった。というか自分以外の車が姿を消した。 ちょっぴりストイックな気分で夜のシーサイドドライブを決め込んでいると、 後ろからみるみるうちにヘッドライトが迫ってくる。 横に避けると、そのタクシーは猛スピードで抜き去っていった。 そして山口県突入。 田万川町、須佐町を通過して阿武町の「道の駅阿武町」で1泊。 |
|
旅4日目へ | |
ルートマップへ | |
ホームへ | |