旅2日目 6月5日(月)

8時ごろ目が覚めた。
しまった、早起きするはずが寝すぎたにもほどがあるぞ。
道の駅の前を走る国道298号は、通勤ラッシュのピークを迎えていた。
まぁいいやのんびりいきましょ。一服してさあ出発。
午前中の予定は埼玉南部の町巡りだ。
市町村フェチな僕には、聞き慣れない小さな町々(市)が密集しているこの地域は
一度は訪れたかったところだ。
地図で見る限り典型的なベッドタウンで見るものも乏しいだろう。
しかし僕には、数日前地図を見てどんな町なのか道なのか想像していたその場所に、「今来ている」というだけで楽しい。
なお、昨年西日本を回った旅と同じく、今回も余裕があれば役場に立ち寄って
観光パンフをもらいながら旅を進めている。

道の駅川口・あんぎょうから、県道328号で鳩ヶ谷市へ。
鳩ヶ谷市は同県蕨市に次いで日本で2番目に面積の狭い市だ。人口は58000人。
市の中心部は大混雑。バイパス沿いの立派な市役所で開庁と同時にパンフをゲット。


埼玉県道328号 昨日は丸一日東京にいたからか、高い建物が無く
開放感を感じた 自分は東京には住めないなぁ
(川口市安行慈林・鳩ヶ谷市本町境)


鳩ヶ谷市は川口市にぐるりと囲まれているため、今回の合併騒動で川口に吸収されるのは
間違いないと思っていたのだが、どうやらお流れになったらしい。

鳩ヶ谷市を西に進むと再び川口市へ入った。
住宅地を適当に西へ走り、蕨(わらび)市へ。
埼玉県蕨市。人口は68000人。前述したが、日本一狭い市だ。また、人口の過密さも日本一を誇る。
ちなみに成人式発祥の地らしい。立ち寄った市役所は鳩ヶ谷とは対照的にオールドで武骨な佇まいでした。
起伏の無い地形に住宅地がひしめく典型的な郊外都市のように見えるが、実は蕨は中山道の宿場町だった。
その中山道は県道79号となっていて、愛車はその道でさらに西へコマを進める。


日本一面積の狭い&人口密度の高い市・蕨市
県道79号線
(蕨市錦町6丁目・さいたま市南区辻8丁目境:埼玉)


さいたまさいたまー 
これはひどい 
場所は左に同じ ここは旧浦和市だったところ


さいたま市南区(旧浦和市)に一瞬だけ入る。
嗚呼さいたま市。かえすがえすもさいたま市。なにゆえ平仮名でさいたま市。
よそ者がとやかく言うのもなんだが、平成大合併のトホホ地名の先鞭としてあえて苦言を。
地名というものは、紐解いていくと土地の歴史や文化が凝縮されている。
またそこで育った人にとって、特にその土地を離れて暮らす人にとって、故郷の名は心のよりどころだと思う。
・・・まあいいや、別に「さいたま」でも。
ある意味21世紀初頭の世相を反映した、ひとつの歴史が詰まった地名かも。
でもさ、浦和市大宮市を区名で残して、なぜ与野市は残さない?
なぜ地名から与野を消したんだ?与野市民の立場は?


県道79号はほんの少しさいたま市を掠めて、戸田市へ。
国道298号に再合流、荒川を渡り和光市
ローカルな道で朝霞(あさか)市を貫き、気づいたら志木(しき)市に入っていた。



志木市役所付近 県道266号線
(志木市中宗岡・富士見市水谷東境:埼玉)



志木市役所にて・・・


志木市は人口66000人。
新河岸川と柳瀬川が合流する中州に、市役所がある。
例のごとく立ち寄り、ついでに小休止。
玄関脇に、あまり可愛いとは言えない河童のオブジェがあった。
志木の柳瀬川には、河童にまつわる伝承があるそうだ。

志木市から、富士見市を県道266号・344号等で抜け、入間郡三芳町へ。久々の郡部だ。
畑と田んぼが多くなり、一段とのどかな風景になってきた。

国道254号に移り、入間郡大井町(H17年10月合併によりふじみ野市)に入った。
川越街道の松並木が、中央分離帯として今も残る。


国道254号線 川越街道の松並木(三芳町藤久保・大井町大井境:埼玉)

国道254号、大井町亀久保交差点を右折、
県道56号線で上福岡市方面へ。

上福岡市(H17年10月合併によりふじみ野市)。
この市名の由来は少し興味深い。
一見すると、同一市名(福岡県福岡市)が
他の地域にあるために、
市制施行に際してやむを得ず、旧町名の「福岡」に
「上」をつけたというもの、と推測されるが実は・・・。

※書くと長くなるので詳しくはこちらのサイト
「都道府県市町村」→落書き帳アーカイブズ→
「上福岡市は、なぜ「上」がつく市名なのか?」をどぞ。


ちなみに西東京市や北名古屋市や四国中央市のような
ヤツとは、似て非なる地名です。あれはひどい。

ともかく、「上福岡市」は僕のハートをくすぐる
かなりマニアックな市だ。市民の方には
申し訳ないが認知度低そうだなあ。

大渋滞の県道56号線  1キロ進むのに15分!
たまらずコンビニに逃げ込む
いまこんなペットボトルあるんだね
(大井町鶴ヶ舞・上福岡市上福岡境付近:埼玉)


上福岡市役所に立ち寄った後、国道254号バイパスで川越市へ。
川越の中心部は、明治期の大火以降建てられた蔵造りの家々が並んでいる。
市役所にクルマを駐め、ぶらり散策。

川越・一番街  県道39号線(川越市幸町:埼玉)


川越のシンボル「時の鐘」 明治の大火で消失したが、1894年に再建された












川越名物?発狂くん みこもり煎餅
(川越市連雀町:埼玉)

県道から奥に入った裏通りを
歩いていると、目に飛び込んできた
左の看板。

発狂くん!!!

このインパクト抜群な看板、昔何処かで
見た記憶が・・・。VOWだ!
発狂くんの正体は、
七味唐辛子をしこたま塗りたくった
「気が狂いそうな辛さの」お煎餅。
実に素晴らしいネーミングセンス。

辛党としては買わねばなりますまい。



発狂くんをかじりながら県道256号線を坂戸市方面に進む。
口の中がジワジワと辛さに侵されてゆく。なかなか気合の入った辛さだ。
しかし運転しながら食べるものじゃない。七味がポロポロこぼれることといったら。

坂戸市に突入。ほどなく、埼玉きっての珍名所?聖天宮にたどり着いた。


聖天宮(坂戸市塚越:埼玉)

畑と古い住宅地が点在する典型的な日本の片田舎に、
全く似つかわしくない極彩色の寺院がドカンと鎮座している。
偶然通りかかったら目が点になること必至です。

この建物は、台湾の富豪がある日「お告げ」を授かり、なんの所縁も無い坂戸の地におっ建てたトンデモ寺院。
台湾ではよくある道教の廟なのだが、建築費用が半端じゃないらしい。
なんでも台湾きっての宮大工たちが10年以上かけて造りあげたと、ガイドさんの説明。

訪問時には僕以外お客さんはおらず、ガランとした廟内の静けさが、
既存の世界と少しズレた異質な空気を醸し出していた。





屋根の装飾はガラス製のため
色あせることがないらしい








聖天宮から県道26号等で坂戸市の東に流れる越辺川へ。
越辺川にはいくつもの木橋が架けられており、自動車も通行できるというのだ。
大まかな場所はあらかじめ把握していたのだけど、なにせ情報に乏しく
左岸の堤防沿いの砂利道をガタゴト走りながら探す。
前からやってきた国土交通省?の黄色いパトロールカーに橋の場所を尋ね、八幡橋にたどり着くことができた。


八幡橋と越辺川  路面は板張り、橋の前後は砂利道 橋脚はコンクリート製
橋の向こうは比企郡川島町 (坂戸市小沼:埼玉)

 
この橋、結構通行車両が多い。約15分の間に10台ほどのクルマが渡っていった。
地元民の抜け道として使われているようだ。こんなイカした抜け道なら毎日でも使いたいな。
渡った先では、数人が釣りに興じていた。
堤防沿いをさらに北上、落合橋、島田橋と巡る。


八幡橋は地元住民の生活道路




赤尾落合橋 越辺川と都幾川の中州に
2つの橋が連続して架けられている
(坂戸市赤尾・川島町長楽境:埼玉)



島田橋 (坂戸市島田・東松山市赤鼻境:埼玉)


島田橋は映画のロケで使われたことがあるらしい



国道407号線で東松山市へ。
途中右に折れ、吉見町の吉見百穴(よしみひゃくあな)へ。


吉見百穴(吉見町北吉見:埼玉)

吉見百穴は、古墳時代に作られた墳墓群。
明治20年に発見された当時はコロボックル人(って誰?)の住居などとも言われていた。

上の写真、あなっぽこがいっぱい開いてますが、これが百穴。
で、右側に口を開けている坑口みたいなところは、大戦時の地下軍需工場だった。
墳墓の一部を破壊、拡張して利用していたそうだ。
今では入り口付近の一部のみ立ち入ることができる。


吉見の軍需工場通路


ガッチリとバリ封されていて
奥へは行けません


金網の向こうを撮影

百穴付近にはもうひとつ面白い場所がある。
その名も「岩窟ホテル」
大正時代に、ある方が毎日コツコツと岩場を掘り、住居を造り上げたという。
昭和の長い間観光名所だったが、現在は内部が崩落しており立ち入ることはできない。
岩窟ホテル跡向かいにある売店で、興味深いお話や写真を見せていただいた。
ただここも廃墟の性というか、夜になると肝試し目的の若者が集まり、たいそう迷惑されているとのこと。
というわけで、岩窟ホテルの写真公開は控えます。
とは言うものの、僕が昔の建物に興味を持つきっかけになったのは
学生時代よく行った廃墟の肝試しなので偉そうな事はいえないけど・・・。
人家が近辺にあるスポットに深夜行くのは控えよう。

県道27号で吉見町を横断して鴻巣(こうのす)市に向け走っていると、荒川に小さな橋が架かっているのが見えた。
木造ではなさそうだが、橋好きの僕に訴えかけてくるものがあったので、とりあえず行ってみよう。

真新しいコンクリ製の橋だった。クルマは通れない。中学生の女の子が自転車で颯爽と走り去っていった。
そして橋の手前は一面ポピーが咲き誇っていた。


荒川に架かる名無し橋(鴻巣市滝馬室:埼玉)


ポピーの花畑 奥に見える橋は県道27号御成橋(鴻巣市滝馬室:埼玉)

県道27、38号線で国道17号を突っ切り、騎西町へ。
県道313号で菖蒲町のあやめ園に立ち寄る。
ちょっと早かったなー。ほとんどがまだツボミでした。


菖蒲城跡あやめ園(菖蒲町新堀:埼玉)

県道12号で久喜市に入る。市街を抜けて幸手市に行くつもりが、
どこをどう間違えたか鷲宮町に来てまった。
お日様と反対方向に適当に走ってみると、どうやら幸手(さって)市に入れたようだ。
4号線の旧道を横切り、再びプチ迷子に・・・。


ここどこ? (幸手市惣新田?:埼玉)

4号線の今度はバイパスを横切って、県道26号で千葉県最北の旧関宿(せきやど)町(現野田市)へ。
関宿城が西日を浴びている。利根川を渡り、茨城県は猿島(さしま)郡境町に入る。
ここからは国道354号線を水海道に向けひた走る。
ローカルムード漂う、典型的な郊外の3ケタ国道だ。帰宅ラッシュ帯の割りに流れは良い。
岩井市(現坂東市)を走りぬけ、水海道(みつかいどう)市へ。
国道から駅方面へ折れ、評判のカレー屋さんを目指す。
抜け道を駆使して走る地元車にくっついて行ったら、またもや現在位置不明に。

でも、なんとかお目当ての「インド・スリランカレストラン294」にたどり着けた。


再び、ここどこ?(水海道市高野町?:茨城)

昨日の「エチオピア」と同様、ここのカレーも以前から食してみたかった。
店員さんは本物のスリランカ人だ。
オーダーしたのは、3種類の具が楽しめる「ホームスタイルカリー」(骨付きチキン、ポーク、じゃがいも)。
味のほうは・・・うまい!
今までに食べたカレーベスト3にランクインされるほど美味しかった!
(ちなみにあとの2つは母の作るカレーとインド・アーグラーで食べたマトンカレー)
ご飯にきゅうりが刺さっている点を除けば、もう最高のカレーだった。
かなりスパイシーなんだけど、ほのかな甘み?みたいなものが感じられた。リンゴ?いや違うな

旅とは関係ないが、ここのカレーの味が忘れられなくて、
この後愛知万博に出店していたスリランカカレー屋さんに行きました。
辛くない、ぬるい、高いと三拍子揃ったカレーを食べながら、
給仕のスリランカ人にそりゃないぜセニョール等と心の中でボヤいてました。

   
レストラン294
(水海道市山田町:茨城)



絶品!ホームスタイルカリー


店名そのままの国道294号を北上、国道354号、県道19号等でつくば市の中心、
いわゆる「研究学園都市」に入った。
つくば博が1985年だから町の歴史は20年ほど?
道幅が広く取られたニュータウン内をぐるりとドライブしてみた。

さっきのカレーはうまかったが、大食らいの僕には少なすぎる。
コンビニで買った菓子パンをはもはもしつつ、ネットカフェを探す。
いっこ見つけたはいいが、会員制&高いので却下。
県道24号で土浦市へ。国道125号沿いにこじんまりとしたマンガ喫茶を発見!
ここはそこそこ安かった。あれ、なに食べたんだっけ?忘れちゃった。
と、住所確認のため検索でこの店のHP見て思い出した。
200円カレー食べたんだった。
またカレーかよ!われながら頭悪い。


カレー安いよ(土浦市西真鍋:埼玉)

11時半の閉店まで粘り、さてどこで寝ようか。
道の駅はここいらには無い。明日はまず霞ヶ浦を見たい。
国道125号線を少し南下したところの、確かローソンだっけか、
の駐車場でこの日はおやすみなさい。


旅3日目へ
ルートマップへ
ホームへ