旅1日目 後半

2005年6月3日

寄生虫館でヘロヘロになりつつ、車を駐めた目黒不動尊まで歩いて戻る。
不動尊の近辺は昔ながらの面影を残す商店街が、活気に溢れている。
僕の地元・名古屋や周辺の町は、クルマ中心の生活スタイルのせいか古い商店街は寂れているというイメージがあり、
何とか人を呼び戻そうと腐心しているという話をよく耳にする。
でも、東京という所は、いたるところに商店街が存在し、そのどれもが人の往来が多く、賑わっているように感じた。

都道317号山手通で国道246号に出て、渋谷区に入る。
頭上に首都高速が走っている。
そして港区。青山、赤坂見附と聞いたことがある地名の交差点が目に付く。
そして千代田区へ、自民党本部、国会議事堂のある永田町だ。赤坂の隣にあるのか、なるへそ。

国道を逸れ、議事堂への道に入ると驚くほどクルマの数が減った。
実は議事堂をバックに愛車の写真を撮りたかったのだが・・・。
ちょっとでも路駐しようものなら、うようよ歩き回ってるおまわりさんが駆け寄ってくること必至。
面倒くさいのでやめにしました。
しかし、ここにいたおまわりさんは皆眼光鋭いというか、田舎のポワ~ンとしたおまわりさんと一線を画してたなー。

皇居・桜田門を左手、警視庁を右手に見ながら(実際は道が広すぎて見てる余裕無かったけど)、東京駅へ。


東京駅(千代田区丸の内:東京)
1914年竣工 日本初の建築家と言われる辰野金吾が設計


東京駅の北側を走る永代通(国1)で中央区日本橋へ。
国道1号の起点、日本橋。ここに日本の全ての道路の原点ともいうべき道路元標がある。
さて、一体どこにあるんだ?
橋のたもとに「東京市道路元標」の柱と、マンホールの蓋みたいなヤツが飾られているのを発見!
おおコイツかぁ。感慨にふけりながら一服。

しかし・・・!
たった今、このページを作るために日本橋について調べていて愕然・・・。
どうやら僕の見た道路元標は複製だったらしい・・・。
本物は、なんと橋のど真ん中、中央線の部分に埋め込まれているのだ。
なんたるちあオマヌケ。事前に調べておくべきだった。ちきしょー。

※ホンモノの道路元標はこちらのサイトが詳しいです
「TTSの道路探検」内”日本国道路元標”


日本橋 上を走るは都心環状線
(中央区日本橋室町:東京)



現在の日本橋は明治44年竣工の
石造2連アーチ橋



東京市道路元標 
写真が切れちゃってるが、下に「日本国道路元標」の
複製がある
後ろは日本橋三越


日本橋から国道17号を500メートルほど北上。
明治大学、日大理工学部近くのカレーライス専門店「エチオピア」で昼食。
ここはレトルトカレーも全国発売している超有名店。
辛さは普通~70倍まで選ぶことができる。
自分はそこそこ辛さに強いと自負していたので、チキンカレー大盛りの辛さ40倍をオーダー。
出てきたカレーは想定の範囲を遥かに超える辛さ!めちゃくちゃ辛かったです。
僕には20倍くらいがちょうど良かったかも。
でも、これだけ辛くても美味しい。マジうまい。近所に欲しい。
ココイチとかってあんまり辛くすると苦くなっちゃうじゃん。でもエチオピアのカレーは違うんだ。
キリッとした辛さと言うのか、本来の旨さが辛さで潰されていないと言うか。
やはり名店だけある。まんまんぞくぞく。


カレー専門店エチオピア
(千代田区神田小川町:東京)



チキンカレー大盛り辛さ40倍なり


さすがに少しお腹が熱い。
昨日からほぼ徹夜で走っていたので、先の日本橋辺りで睡魔に襲われたのだが
40倍カレーのおかげで目が覚めた。次の目的地へ、いざ。
靖国通りを東に進み、東神田交差点で左折、上野駅方面へ。

ところで、通った道をなぜそこまで覚えているのか疑問に感じる方がいるかも。
実は不思議と覚えてるんです。ちょっとした特技かも知れません。
と言っても5年ほど経つとさすがに忘れている部分がでてくるけど、
この旅は半年前の出来事なのでほぼ完璧!に僕の脳ミソにインプットされていて、
地図で旅の軌跡を辿っていくことで記憶を蘇らせています。

例えばA地点からB地点まで行くとき、僕は地図で道順を頭に叩き込みます。
そして実際走行して地図とリアルな風景を頭の中で照らし合わせ、
「へぇーこういうところだったんだー」などと楽しみながら運転をしています。
旅の途中、地図を何度も見ることで自然と記憶されちゃうわけなのかな。
カーナビは確かに便利だが、自分で地図を読み、時には迷い、ここは何処ですか?なんてのも
クルマ旅の醍醐味だと思います。

そんなこんなで、台東区同潤会上野下アパートメントに到着。


同潤会 上野下アパートメント 昭和4年竣工(台東区東上野:東京)

この古めかしいアパートは、なんと築76年!
昭和4年に建てられ、第二次大戦の戦火もくぐりぬけいまだ現役。
このアパートを建てた同潤会とは、関東大震災の復興事業として、国が設立した団体。
昭和元年の中之郷アパートを皮切りに、都内に16の鉄筋コンクリ製アパートを造った。

同潤会のアパートと言えば、青山アパートや江戸川アパートなどが有名だが、数年前に都によって取り壊されてしまった。
現在は今回訪れた2つが現存するのみである。

両方とも住んでみえる方がいるため、中に入ることははばかられました。





もうひとつの現存アパートは、ここから少し北上した荒川区日暮里駅の東側にある三ノ輪アパートメント
こちらは昭和3年竣工。上野下アパートに比べると傷みっぷりが凄まじい。
老朽化が一番の原因に思われるが、なんと空襲で破壊された部分もそのまま残っているらしい。


同潤会 三ノ輪アパートメント 昭和3年竣工(荒川区東日暮里:東京)







再び猛烈な睡魔が来襲。
しかし東京というところはクルマをとめて仮眠のしやすい場所が無い。どこに止めても邪魔になるっぽい。
どうしようかなーと考えていると、前方にお祭りの行列を発見。
地元の神社の例祭のようだ。
祭りの運営側?のおっちゃん2人の会話↓
「(みこしの列を)そこの道にいれようか」「その道狭いからダメだよ」「ええーっ・・・」
ルートぐらい事前に決めておけよ!(笑)


(荒川区南千住2丁目にて)


都道306号明治通り(荒川区南千住2丁目)

旅の伴侶とも言うべき「スーパーマップル関東」で、仮眠のできそうな雰囲気の場所を探す。
南千住8丁目・白鬚西地区再開発事業区域が目に留まった。
行ってみると真新しい高層団地が林立していた。よし、ここならいいかな。
あぁもうダメ・・・Zzzzz・・・





・・・目が覚めると、日は完全に落ちていた。8時ということは4時間ほど寝ていたか。
頭はバッチリ冴えたぞ。あとは風呂だな。
行く銭湯は決めていた。浅草の蛇骨湯という老舗の銭湯。
隅田川沿いの都道314号を南下、途中国道6号線となり、浅草界隈へ。
さすがに駐車場が高い。遠くてもいいから安いとこはないか。
浅草寺から700メートルほど離れた元浅草に2時間100円パーキングを見つけ、
ぶらり夜の下町を歩く。
雷門通りから1本中に入った商店街で、おっちゃんに蛇骨湯の場所を尋ねる。
「おおぅ、ワシいま入ってきたとこじゃ」と、マニアな路地裏を先導していただいた。


蛇骨湯(じゃこつゆ) 大人400円(台東区浅草:東京)

夜9時を回った仲見世は、中学校の修学旅行で来たときのイメージとは違っていた。
人通りも少なく、華やかな商店街の装飾も無かった。

ただ1軒だけ開いていた人形焼の店で、こしあんと白あん2種類を購入。
パクつきながら狭い路地を歩いていると、どこからかニャーが寄ってきた。


浅草寺五重塔と宝蔵門(台東区浅草:東京)



お約束の雷門


路地裏で出会ったニャー


夜の仲見世 1軒だけ開いていたお土産屋さんで東京名物・人形焼を買った

浅草から国道4号線を北上。足立区に入る。
途中すき家で豚丼を食べたり、例によって書店などに立ち寄ったりしつつ、東京を脱出。
埼玉県草加市へ。
国道298号線に移り、ほどなく川口市突入。
この日は国道沿いにある「道の駅川口・あんぎょう」で車中泊。
車中泊旅行の強い味方である道の駅だが、関東地方、特に東京近辺にはほとんど無い。
ここの道の駅は、元からあった緑化センターをムリヤリ道の駅にしたてあげたといった感じ?
でも、安心して車中泊ができるという点では、ありがたい。
それでは、おやすみなさい。


「道の駅川口・あんぎょう」にて  長い一日だった・・・
(川口市安行領家:埼玉)




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