旅4日目 6月7日(水)

午前7時半頃起床。またまた寝ぼすけさん。
一夜を過ごした国道50号沿いのセブンイレブンで朝食を物色。
僕の住む愛知県には、4年ほど前までセブンイレブンは進出しておらず、
旅先で立ち寄ると「遠くへ来たなー」と感じたものだ。
ここ旧内原町に、ちょっと面白い公園があるというネタを仕入れた。
国道を右に折れ、くれふしの里公園に到着。
日本一の埴輪に見下ろされながら、園内を散策。


くれふしの里公園(旧内原町牛伏:茨城)



日本一大きな埴輪「はに丸タワー」
我々の血税が・・・(笑)

国道50号は友部町を抜け、緩やかなアップダウンを繰り返しながら笠間市へ入った。
国道355号を進み、市中心部にある笠間稲荷神社に到着。


国道50号線で笠間市へ(友部町小原:茨城)

笠間稲荷は日本三大稲荷のひとつに挙げられる。
この「日本三大〜」といわれるものは色々あるが、いったいなにを基準としているのだろう?
しかも「三大」と言うからには3つでなくてはならないのに、三大稲荷と言われる神社は調べてみると7つもある。
宮城県岩沼市・竹駒神社 、愛知県豊川市・豊川稲荷大社 岐阜県平田町・千代保稲荷、
奈良県新庄町・瓢箪山稲荷神、 岡山県岡山市・最上稲荷 、佐賀県鹿島市・祐徳稲荷神社、
そしてここ笠間稲荷神社だ。
竹駒、豊川、おちょぼさんは行ったことがあるから、ここで4つ目か。
別段神社好きでは無いのだが・・・。


笠間稲荷と国道355号線(笠間市笠間:茨城)


笠間稲荷だよ



肝心の本殿の写真が無いよー



右から左へ「京 楽 洗 張」の文字が。
洗張とは着物のクリーニング屋


参拝を済ませて参道を戻ろうとすると、一軒のお土産やさんがシャッターを上げているところだった。
やはり油揚げを売っているのだろうか。
店のご主人に石切山脈について尋ねると、「ここが見学をやってるよ」とある会社を紹介していただいた。
稲荷の周辺をぶらり歩いた後、クルマに戻る。そして石切山脈方面へ。

再び国道50号線に出て西へ少し走ると、「石切山脈」の青看があった。
笠間市は、「稲田石」と呼ばれる花崗岩の日本最大の産地で、
石切山脈は稲田石の採掘現場の総称だ。

石材屋が立ち並ぶ国道を曲がると、幅1.5車線の雑然とした道となった。
砂煙を巻き上げてダンプカーが何台もやってくる。
土産屋さんで聞いた「中野組」の現場が分からず、草むしりに精を出していたお姉さんに尋ねる。
「あっ、それはウチですね」 顔をあげると「中野組石材工業」の文字が入った社屋が。
早朝からの珍客?にもかかわらず、親切に操業中の現場を案内していただいた。


稲田石の石切り場見学ができる中野組さん
(笠間市稲田:茨城)



石切り場へと続く道



通称「前山」の石切り場(笠間市稲田:茨城)

上の写真は、中野組では「前山」と呼んでいる烏帽子山の石切り場(採掘現場)。
遠方に山肌に石が露出した「奥山」が見て取れるが、そちらは見学不可とのこと。
深さ50メートルの巨大な石の穴に、けたたましい重機の咆哮が響く。
段々に切り取られた石の壁は大迫力、圧巻の一言に尽きる。
案内してもらった草刈りお姉さんに色々と聞こうとしたが、
何せ重機の音がハンパじゃなく、お互い「えっ!何ですって!?」と叫びあっていた。
て言うか戻ってから聞けよ俺(笑)。 と向こうも思ったと見た。


おお、吸い込まれそうだ・・・


この穴は明治時代から掘り続けられているそうだ
石は段々状に切り取られている


下の写真は、廃材ではなく一時的に置いてある石。
崩れそうで崩れない、絶妙なバランスで石が重ねられてある。
一見なんでもないように思えるが、これも熟練した者だけができる技術なのだ。

最近にわかに「産業観光」という観光レジャーの形態が浸透しつつあるが、
中野組さんでも見学に来られる団体客が増えたらしい。
中野組石材工業株式会社のホームページはこちらです。


前方の山は「奥山」の石切場


絶妙なバランス感覚


これも職人の成せる技

稲田から国道50号を少し戻り、県道1号線で栃木県方面へ。
仏ノ山峠という小さな峠を越え、栃木県芳賀郡茂木(もてぎ)町へ。


県道1号線 仏ノ山峠(茨城県笠間市片庭・栃木県茂木町小貫境)

サーキット場で名を馳せる茂木町。県道は町南部の山間の集落を掠めて
これまた益子(ましこ)焼で全国に名の轟く益子町へ。
県道を左に折れ、窯元が立ち並ぶ道を走り抜ける。
国道121号線に出て真岡市方面へ。

国道121号。
国道マニアならば知らぬ人はいない「大峠」のあるあの国道だ。
今回は遠すぎて行っていないが、6年ほど前喜多方市(福島県)方面からアタックを試みるものの
バリケードに阻まれ辛酸を舐めた121号。
いつか大峠を再訪しようと思っているうちに山形県側が大崩落を起こし、通り抜け不可となってしまった。
そんな因縁?の121号線だが、益子町の区間でも僕のハートをガッチリ掴んでくれた。
山間部でもないのに中央線が無いなんて、三ケタ国道のカガミだねぇ〜。


国道121号 栃木県益子町塙付近

真岡(もおか)市に入り、田んぼの中をテキトーに走ると国道294号に出れた。
ほどなく、次の目的地「大前恵比寿神社」に到着。
日本一大きな恵比寿様(高さ13メートル)を拝む。
ロト6が当たりますように・・・。


大前恵比寿神社  日本一の恵比寿さん(真岡市東郷:栃木)


ロト6毎週買ってんだけど
1000円しか当たらないんだよなー



国道294号線を南下、二宮金次郎のふるさと二宮町へちょっと寄り道。
国道を外れ、市街で例の薪を背負った像を探すが見つからない。
再び294号に出ると道の駅を発見。ありましたありました!


二宮金次郎のふるさと二宮町
「道の駅にのみや」にて(二宮町久下田:茨城)



道の駅でゲットした「目薬の木のお茶」
栃木県内の会社が発売している。
パブロンの味がしたぞい



二宮町から県道310号線で南河内町へ。栃木なのに「河内」でしかも「南」。マニアックな町名だ。
田んぼの広がるカントリーロードを西に進む。
お腹が空いてきた矢先、田んぼの中にたたずむ小さな食堂を見つけた。
食堂は盛況のようで、ちょっと待たされた後焼きそば大盛りが出てきた。
お勘定の時、店の人が待たせたことを謝っていたけど全然いいすよー。急ぐ旅でもないもん。
文中には記していないがこの日も各役場に立ち寄ってパンフを頂戴しているので、
本当にのんびりペースで進んでいた。


ローカルな風景の続く県道146号線を南下
(南河内町絹板:小山市延島境:栃木)



南河内町で昼飯にありつく



田畑と雑木林が点在する県道146号線を南下する。
小山市に入ったところに工場の跡地だろうか、荒れ地が広がっていた。
小山市の東部を抜け、茨城県は結城市へ。

結城市と言えば結城紬(つむぎ)だろう。
市内には昔ながらの問屋さんや蔵造りの家々が残っているが、先日の川越のように
ひと地域に密集してはいない。
クルマで町並みを巡り、国道50号で再度栃木県小山市へ。


「VIVO(ビーボ)」というジュースの
メーカーをご存知ですか?
昭和50年代、主に東日本に存在していた
らしい。愛知県民の僕には馴染みないが、
こちらのサイトでその存在を知りました。
(画像クリックでロゴの拡大)
(結城市松木合?:茨城)



結城市の某所で、何かとてもご立腹な看板が
目に飛び込んできた・・・







小山市街で国道4号線に合流し、野木町に向け南下。
茨城県古河市との県境付近に位置する、「ロイヤルホース・ライディングクラブ」に到着した。
ここは、大手建材会社シモレンが経営する乗馬クラブ。
この敷地内に「ホフマン窯」と呼ばれる明治期に建てられた煉瓦焼成用の窯炉がある。

何か建物の様子がおかしい?
正門まで行ってみると、門は固く閉ざされ、花壇は荒れ放題・・・ってツブれてるじゃん!

おいおい・・・。


ロイヤルホースライディングクラブ 現在は廃墟
ここの敷地内に国の重要文化財があるのだが・・・


ホフマン窯は国指定の重要文化財だ。
まかり間違っても乗馬クラブと共に朽ちている筈が無い!
どっか別のアクセス方法があるはずと、辺りを走ってみるも徒労に終わる。
正門の反対側の通用門?越しに窯の煙突が聳えているのが見て取れた。
ここで引き下がるのは悔しいぞ。えいやっ、とフェンスをよじ登り侵入。

廃業して間が無いのか、中は思ったほど荒れていない。
そして、念願のホフマンさんとご対面!


下野煉瓦製造株式会社 ホフマン式輪窯
1889年築造 国指定重要文化財 
周りは雑草が生い茂っていた。これは・・・本当に放置されているっぽい。
(野木町野木:栃木)



草をかきわけて内部へと潜入・・・


ホフマン窯内部 炉はこの下部にある
普通に公開している時は、中に入れなかったのかな?
と思うとちょっと感動



木枠で支えられた煙突と屋根



これは炉に炭を入れる穴
蓋を開けて炭を投げ込んでいた



修復作業中に廃業となったのだろうか?
足場もそのまま放置プレイされていた




これが炉 窯は十六角形の形状をしていて、
各面に炉口がある(全部で16の炉)



この煙突、惚れるほどカッコ良い








野木町さん、このままではダメですよー。
なんとか保存に向け動いてほしいものです。

旧乗馬クラブの裏手、狭い地元道を抜けると渡良瀬遊水地の端っこに出た。
渡良瀬遊水地とは、栃木、群馬、埼玉、茨城県の接点に位置する広大な湿原。
遊水地の9割方は栃木県藤岡町内にあり、東京ドーム700個分の面積を有している。


渡良瀬遊水地のヨシ原と谷中湖(藤岡町内野:栃木)


ヨシ原の中を走る

明治時代、足尾銅山の鉱毒が渡良瀬川を流れ、ここ栃木、群馬南部の農村地帯に多大な被害を与えた。
政府は、汚染された水流を溜める場所として、ここに遊水地建設を計画。
この地には「谷中村」(人口2500人)が存在しており、村は廃村、村民は北海道に移住したのだ。
しかし遊水地建設の裏には、鉱毒反対運動の中心地だった谷中村を消滅させる狙いがあった。
運動のリーダー田中正造は、廃村に異を唱え最後まで谷中村に住み続けた。

現在の谷中村跡地は、案内板こそでているが家屋の土台の盛り土がある程度しか遺構は残っていない。


谷中村遺跡の案内板




観光マップかと思いきや・・・
不法投棄が絶えないらしい



渡良瀬貯水池から県道9号に出て、藤岡町の中心へ。
県道沿いに見つけたスーパーマーケットで「ある物」を探す。
ある物とは、栃木県名物「しもつかれ」の惣菜。
数軒のスーパーを回ったが結局見つからなかった・・・。いつか食べてみたいものだ。
スーパーのオバチャンいわく、各家で作るものでスーパーで売られるのは節分の時期だけとのこと。

しもつかれってなに?という方はこちらのサイトへどぞ 

藤岡町からさらに県道9号線を走り、佐野市へ。
佐野市と言えば佐野ラーメン!
有名店・森田屋さんで大盛りラーメンを食す。
実はこの店、6年ほど前にも来たのだが、
今回食べてみてあれっ、スープこんなに
油っこかったけ?って感じた。
でも、佐野ラーメンの真髄である青竹で打った
麺は美味しかった!
今流行の、硬ければコシがあるなどと
もてはやされる麺とは違うが、
あのモチッとした食感は僕好み。

佐野ラーメンの有名店
森田屋(佐野市堀米町:栃木)



ラーメン大盛り650円なり


次に向かうは、やはり佐野と言えばの佐野厄除け大師。
ここも6年前の旅で訪れたところだ。
その時、露店のおばちゃんイチオシの店と森田屋を教えてもらったことを思い出した。懐かしい。


佐野厄除け大師にて(佐野市金井上町:栃木)

佐野ラーメンの美味しさの秘密は水にあり。

市北部の出流原(いずるはら)弁天池の湧水は、
名水百選に選ばれている。
ペットボトルに汲んだ名水を飲みながら
夕闇迫る弁天池でまったりと一服。
鯉がわんさか泳いでいた。

国道293号線で峠のトンネルを抜け、足利市へ。




名水百選・出流原弁天池(佐野市出流原町:栃木)




足利市は人口16万人の地方都市。
日本最古の学校と言われる足利学校がある町だ。
着いた頃には6時を回っていて、もちろん見学はできなかった。


足利学校と国道293号線(足利市昌平町:栃木)

先日、ある週刊誌で地方都市の
寂れた商店街の特集記事を読んだ。
その中に足利市の商店街についても
述べられていた。
郊外に大型モールが出来、
市の中心部が寂れまくっているという話だ。

記事を読んで、
右の写真の立て札を思い出した。
区画整理による町並みの破壊、
コミュニティーの寸断は足利に
限らず、日本中で目にすることだ。
僕の地元でも、味のある古い集落が
次々と画一的な町並みに変えられていった。

町の発展=開発と言う前時代的な考えを
自治体側は再考して欲しい。
ヘタをうてば町が寂れる一方だろうに。


足利市雪輪町?にて・・・



今日はこんな看板を
良く目にするなぁ・・・


日が完全に落ちた。明日は桐生市からのスタートにしよう。
足利から国道50号を走ればなんなく着くのだが、まだ時間はたっぷりとある。
国道407号線で群馬県は太田市に寄り道っと。
太田市は富士重工の本拠地である企業城下町。
工場のある町名はズバリ「スバル町」だ。
ちなみに愛知県豊田市には「トヨタ町」が、大阪府池田市には「ダイハツ町」が存在する。

富士重工の工場がある町はその名も「スバル町」!(太田市スバル町:群馬)


太田市でマンキツにでも入ろうと、町中をウロウロするも見つからないまま県道78号線を北上。
薮塚本町に入ったところで、こじんまりとしたマンキツの看板が煌々と光っているのを発見。
土浦のマンキツはカレー200円だったが、ここはなんと!!100円ポッキリ!!
味については言及するまでもないが、破格のコストパフォーマンスにまんまんぞくぞく。

旅の疲れを十分に取り、深夜0時頃桐生市の国道50号沿いセブンイレブンに到着。
店員さんに断りをいれて、駐車場でおやすみ〜。


北関東&新潟でお馴染みのコンビニ、セーブオン

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