2009年5月鳥取の旅 スナップ集 1日目 |
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約3年前の旅の写真です 思い出しながらつづります 行ったのは2009年5月3日、夜中に愛知の家を出て 多分この写真は3時過ぎ、国道9号線 横綱ラーメン食べてまったりしてたとこと思われますです |
国道372号線で亀岡から篠山へ向かう |
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372号の未改良区間 多分このへん |
兵庫県篠山市に到着 これは篠山城跡 |
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お堀沿いの道にて |
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丹波篠山・河原町の町並み(兵庫県篠山市) 場所はココ |
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河原町 商家の町並み 早朝の訪問なので人影はありませんでした |
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切妻、妻入りの家が並びます 間口が狭く、奥行きのある家です |
漆喰塗り込めの虫小窓の家 |
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千本格子、出格子の家 |
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左の家、威厳あるうだつですね |
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何年前の看板だろう? |
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鐘ヶ坂隧道(兵庫県篠山市、丹波市境) 場所はココ |
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1883年竣工 268m 丹波市側 レンガ作りのトンネルとしては日本最古・・なのですが、こちら側のポータルは見ての通り コンクリ補修がされていて、レンガは扁額周辺しか見て取れません。 |
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「鑿山化居」と彫られた扁額は当時の太政大臣三条実美によるもの |
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内部は10mほどのところで柵による封鎖がされています。 この隧道は2000年初頭までは完全放置プレイされていましたが(アクセス路は廃道状態だった)、 最近になって歴史的価値が認められ、現在は保存活動がされています。 |
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色鮮やかなレンガ 内部の状態は作られた時代を考えると良好です |
内部は10年前は水没していたのだが今はこの通り |
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隧道脇にある「鐘坂隧道 縣道費寄附名員」 |
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反対側も行ってみました。 篠山市側坑口へは旧道脇の砂利道を徒歩で登る。 |
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篠山市側 これは美しすぎる・・ ・ |
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石とレンガの合わせ技がすごくかっこいいです |
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こちらの扁額には「事成自同」と。 有栖川宮熾仁親王による揮毫。 扁額の下に鶴が彫られています。 |
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こちら側にもあった「隧道工費寄附人名」 |
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2005年完成の現鐘ヶ坂トンネル(平成のトンネル) 全長1012m |
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木の根橋と旧柏原町役場(兵庫県氷上郡旧柏原町:現丹波市) 場所はココ |
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旧柏原町(かいばらちょう)役場 昭和10年築 最近、かなり大規模な改修をしたっぽいです。 柏原町は近年、周辺町村と広域合併したため、丹波市役所柏原支所として使われています。 |
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その隣にある巨木は、推定樹齢1000年の樫の木 この木の根が横を流れる小川を跨いでいて、橋のようになっています。 これが「木の根橋」。橋と言えるかビミョーですが、、、 兵庫県の指定天然記念物です。 |
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佐治の町並み(旧氷上郡青垣町佐治:現」丹波市) 場所はココ |
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この集落は、京街道(丹波街道)の宿場町で、篠山と播磨、そして 山陰道鳥取方面をつなぐ要衝だったようです。 (あまりこのあたりの地理に詳しくないのでテキトーですよ!) |
塗り込めの虫籠窓(むしこまど) 佐治は江戸後期から明治期にかけて養蚕でたいそう栄えた。 |
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切妻、妻入りの商家が多い。 |
道標 左いくの 右ゆしま ゆしまとは湯島=城崎温泉のことです。 |
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佐治から国道427、429で生野方面へ 地図で見ると結構な酷道のようだが・・・ |
こんな林道規格の国道429で青垣峠を超えます。 場所はココ |
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青垣峠 |
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生野銀山(兵庫県旧生野町(現朝来市)) 場所はココ |
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観光鉱山お馴染みのキッチュな野郎ども |
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立坑の巻き上げ機 エレベータですね 昭和初期のマシンです |
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露天掘りの跡 |
粘土断層 |
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神子畑鋳鉄橋(みこはたちゅうてつきょう)(兵庫県朝来市) 場所はココ |
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1885年竣工 鋳鉄アーチ1連 神子畑川に架かる。 明延鉱山と精錬所のある生野を結ぶ鉱石運搬道として架けられた ここ神子畑には、選鉱所がありました |
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国指定重要文化財に指定されている |
日本の鉄橋としては3番目に古く、鋳鉄橋としては現存最古 鉄製の一番古い橋は旧心斎橋(1873年竣工)でこちらは錬鉄製だった。 錬鉄より鋳鉄のほうが脆いはずですが、なぜ鋳鉄を選んだのでしょう? |
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神子畑選鉱所跡 |
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これより西に数キロ離れた大屋町(現養父市)の明延鉱山から運ばれた鉱物を選別する一大施設だった。 1987年の操業終了後も長らく廃墟となって残っていたが、2004年に建屋はすべて撤去され、現在はこのシックナー2つと 建屋の土台を残すのみです。 |
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選鉱所の土台 以前はこんなふうだった。めっちゃ見たかった! |
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インクラインの軌道 |
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終点には運転所と思しき小屋が残っています。 ちなみに跡地の中には立ち入っていません。 半観光地化していて人目が気になったのと、大きなスズメバチの巣を発見したので・・・ |
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和田山機関庫(兵庫県朝来郡和田山町:現在は朝来市) 場所はココ |
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新興住宅地の横にでんと存在しているあやしい廃墟 |
垣根の切れ目に敷地内に入れるところがありました |
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和田山機関庫 1912年竣工 |
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私が訪れたのは2009年5月でした。 2012年9月現在の機関庫ですが、屋根の撤去作業が行われているようです。 こちらの動画ですと「解体」とされていますが、まさかぶっ壊しはしないでしょう・・・貴重な観光資源となり得るモノですから。 保存に向けた修復作業だと思われます。ってか思いたい。、 |
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国道9号で鳥取県へ 写真は岩美町の9号沿い 場所はこのへん |
このあたりから北西を見る レンゲの咲きほこる田園をぶち抜く高規格道路が建設中でした おそらくこれは「駟馳山バイパス」の工事で、将来は 「鳥取豊岡宮津自動車道」の一部になるとか。 |
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国道178号との分岐 先の写真撮った所 |
鳥取砂丘寄ってみたらなんじゃこのひとごみわ! 世界の砂像展というイベントをやっていて、 それがGWと重なってすごい人出でした。 |
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でも砂丘のほうは空いていたよ このあと鳥取市内へ、「中富」というおいしいラーメン屋さんで晩飯の後 ネットカフェで1泊 |
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