国道42号線旧道 矢ノ川峠(やのこ峠) 尾鷲側


矢の川峠はずーっと気になっていた道でした。

昭和11年に全線が開通してから昭和42年に現在の道ができるまでの約30年間、
熊野市と尾鷲市のクルマ道は、このか細いひとつの線でのみ結ばれていました。
熊野新宮と、尾鷲や三重県北中部を往来するクルマは、
乗用車もトラックも、そしてバスも皆、否応なしにこの矢の川峠を越えなければならなかったのです。

と矢の川峠の歴史についてはネット上にゴマンとあるので、
興味がある方はググってくださいな^^
気になってはいたが今まで行かなかったワケは、
1:果たして乗用車で走れるのか?尾鷲まで来て断念とかマジ泣けるぞ
2:なんとか峠まで行けても、熊野側は落橋で抜けれない。また悪路を引き返すなんて耐えられるか?
でした。

一念発起して行ってきたのは2013年2月23日です。
普通車で行けるか悩んでいる方は、参考にしてください。
旧道の入り口は国道42号を尾鷲→熊野方面に走ると、千仞(せんじん)橋の手前右側になります。
ちなみに千仞橋は上路ワーレントラス橋で、竣工年は不明ですがおそらく、旧道に引導を渡した昭和42年前後と思われます。
通行止めの看板こそありますが、バリケード(下の写真)は横にずらされていて、
「入るのは構わんが自己責任な」って感じです。


しょっぱなからボコボコにガレた路面の洗礼を受けます。
写真だと凹凸が分かりにくいですが・・・。

入り口から50mほどで、最初の遺構「懐古橋」が沢を跨いでいます。
竣工は昭和拾年って彫られていたと思います。
この先いくつか橋がありますが、すべて桁橋でした。

今でいうガードレールですね。金網って開通当時の物なのかな?後付けっぽいけど。
路面はずっとこんな感じです。時速10キロ前後で石をなるべく踏まないそうに
そろりそろりと走ってます。
広場に出ました。ここから現42号を眼下に見ることができます。
右の写真の路肩が後年になって補修されています。
旧道になってからの工事でしょう。この道は峠近くにある電波塔の保全道路として、
最低限の維持管理がなされているようです。


第二の橋、紅葉橋。


お次は瀧見橋。橋の名が親柱に彫られているってのは良いですね。
貼り付け式の銘板だと、これくらい古い橋のものはたいがい外れちゃってますから・・・。
上は道路開通の記念碑です。
「矢ノ川峠開墾記念碑」  「正三位勲二等 廣瀬久志 昭和十五年三月建立」と彫られています。
廣瀬さんは当時の三重県知事で、碑の文字はこの人の揮毫です。


これは橋の欄干ではではないです。ガードレールに相当するこういう構造物って
当時は何て呼んでたんだろう?駒止めとは少し違う気がするし・・。
路面は相変わらずぼっこんぼっこんしています。
大きな石を避ければ下は擦りませんが、時折エッジの鋭い石が落ちているので
パンクしないかヒヤヒヤでした。


南谷大橋
こちらの親柱の銘は当て字ですね。「三奈美多に??」読めないっす


路面はますます悪くなってきた感があり、有名な矢ノ川隧道まで行ったら引き返そうかなー、と考え始めていました。
SUV車なら余裕なんでしょうが・・・。

大迫力の切り通しの先に穿たれた穴!隧道一発目は手掘りです。
ORRのへなり氏的に言うとテボッチャーってやつです。
へなり氏の矢ノ川峠レポを読んでこの道に興味を持ちました。(現在は一部のみの公開)

路面は簡易コンクリ舗装。傷み具合から近年の舗装と思われます。

コンクリ舗装はここだけではなく、峠までの随所にありました。
と言っても全体の8分の1程度でしょうか。
ホッとしたのもつかの間、再びダートです。


ここは・・・確か橋だった気がします。石が転がってきて沢が埋まっちゃったっぽい。

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