中央西線旧線 旧鳥居トンネル
(木曽郡木祖村〜旧楢川村(現塩尻市):長野県)


明治43年に開通した中央西線薮原〜奈良井間には、旧線で3つ目に長い鳥居トンネル(1655m!)が穿たれました。
複線化が完了した昭和44年に棄てられたこのトンネル、現在はどうなっているのだろう?



薮原駅側からアタックを試みたのですが、アクセス路が皆目分かりません。
片側1車線の立派な道がカーブを描きながら線路を跨いですぐ、下り坂の砂利道が目に入りました。
下った先はまさに線路脇ドンピシャ!の現鳥居トンネル手前。
右の写真のモジャモジャしたところが旧線です。
凶悪なヤブゾーンは意外にも短く、拍子抜けするくらい簡単に旧トンネルとご対面です。


苔むした法面が美しい


木祖村(薮原駅)側坑口


旧鳥居隧道 延長1650m 
薮原〜奈良井間は明治43年10月5日開業(日本鉄道請負業史より)
能面な印象を受けるポータルは、のちにコンクリ補強されたみたいです。
アーチ部のみに煉瓦が見て取れます。


今まで廃線のトンネルと言うと高蔵寺多治見間の旧線しか行ったことが無いので
切通しのトンネルはとても新鮮でした。格好良いですね。





うひゃー なんすかこの煉瓦の山は?
他サイト様のレポートで煉瓦の落剥は知ってはいたが、いざ目の当たりにするとビックリです。
一片でも頭を直撃したら・・と想像すると、足がすくんじゃいました。
まあでも行っちゃうんだけどね。





内壁の下部は石積み、上部が煉瓦積みになっています。
崩落は坑口から50mのあたりまでが最も激しいです。
コンクリ補強が施された箇所では、コンクリがアーチの形状のまま
煉瓦も一緒に引っぺがすように剥がれ落ちているところがありました。





入り口付近の崩落現場を越えると、煉瓦の落剥もほとんど無くなりました。
はるかかなたに光の点が見えます。ここは入洞から約300m地点
(だと思う・・・。行き帰りともやみくもに撮ったので場所がごっちゃになっているかも)。枕木が残っています。





この大きな待避坑は3箇所にありましたが、2つ目のここだけ朽ち果てた扉と・・・謎の箱・・・。
パンドラの箱か、はたまた失われたアークか。開けたらなにかよろしくないことが起こりそうなので、そっとしておくことにしました。
ここがおそらく真ん中(入洞から約800m)じゃないかな?





懸念された崩落も奥のほうはほとんどありません。
1.6キロはさすがに長い・・・。正直、少し飽きてきました。
出口の風景を楽しみに坦々と歩く2人。
石積みの部分がいつの間にかなくなっています。





奈良井側はすこーしだけカーブしていました。
出口付近は薮原側同様に煉瓦の落剥と漏水が激しかったなー。
クルマの音が聞こえます。いったいどこに出るんだろう?


旧鳥居トンネル 奈良井駅側





こちら側のポータルはオリジナルを保っていました。
多治見のトンネル群とほぼ同じ造りです。
ただ・・・傷みが凄まじい。大きな亀裂が走っています。





起点(東京)から58番目のトンネルです。
高蔵寺〜多治見間は名古屋側から1号、2号だったのに、ややこしいなあ。


出たところは国道19号の鳥居トンネル横でした。
橋脚の跡が残っています。
この先の旧線跡は19号線とダブっているようです。
ちなみに国道19号線にも旧鳥居トンネルがありまして、
今回は行きませんでしたが、旧トンネルはフタをされちゃっています。

おしまい

(2006年5月2日訪問  5月7日公開)

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