旅14日目 5月18日


大豊町の民宿を出発。国道32号を北上。
豊永というところで国道439号に入る。
この439号は地図を見ると、四国を横断するように走っている。
じつはこの国道、ほぼ全線にわたって1車線〜1.5車線の悪路が続くとんでもない道。
悪路好きの世界では「与作(439)酷道」と呼ばれている。
今回の旅では全てを堪能することが時間的にむりなので、
京柱峠の前後の区間のみアタックした。


↑泊まった民宿と国道32号線(大豊町:高知)

↑国道439号(大豊町西峰:高知)

四国山間部の集落はすごい。
どんなに山奥の集落もしっかり人が住んでいる。
廃村っていまだ見たことがない。降雪量がすくないからかなぁ。

延々と続くと思われた与作のグネグネ道は京柱峠を越え、
東祖谷山(ひがしいややま)村まで下りた。
県道32号に移り、かずら橋を目指す。


↑なんかさみしそうだね・・・


↑439号京柱峠 標高1130m(高知県大豊町・徳島県東祖谷山村境)

このあたりは「祖谷谷」と呼ばれていて、日本三大秘境のひとつになっている。
そして先の五家荘や椎葉と同じく、平家落ち武者伝説が残っている。
山間の狭い県道を走り、西祖谷山村かずら橋に到着。秘境とはいえ観光名所。観光客がたくさん来ていた。
かずらで編んであるといっても、今のかずら橋はワイヤーが入っている。
とはいえ、意外に怖いよココは。



↑かずら橋(西祖谷山村:徳島)






↑祖谷谷(いやだに)(西祖谷山村:徳島)

かずら橋から県道32号で断崖上を走る。
山城町で国道32号に合流。池田町へ。
池田町で国道192号に移る。



↑山城町(徳島)の風景

192号線をしばらく走り、県道8号へ。
小さな峠のトンネルを抜け香川県大野原町に入った。
県道から少しそれたところに「豊稔池(ほうねんいけ)ダム」がある。
このダムは昭和5年に農業用ダムとして造られた。
「マルチプルアーチ」という、なんだかよくわからないが日本では珍しい方式で造られている。
小さなダムなんだけど、石積みの武骨な外観はなかなか迫力があってカッコいい。


↑豊稔池ダム(大野原町:香川)





大野原町から国道377号で山本町へ。そして、県道や国道11号などを経由して三野町津島神社に到着。
瀬戸内海に浮かぶ津島神社は、子供の守り神として地元で大切にされている。
島(神社)に渡れるのは年に2日だけ(夏のお祭り)。
そして神社の前にある予讃線「津島ノ宮駅」
1年のうち祭りの2日間しか電車がとまらないというちょっとかわった駅。


↑瀬戸内海に浮かぶ津島神社(三野町:香川)


↑「津島の宮駅」は年に2日、祭りの時だけ電車が止まる



三野町から県道21号で瀬戸内海沿いを走る。
詫間町仁尾町を抜け観音寺市琴弾公園に着いた。
観音寺の砂浜には「銭形」といって砂浜に「寛永通宝」がでっかく彫られている。
東西122m、南北90m、円周345mと巨大な銭形を拝むと、お金に不自由しないというご利益があるそうだ。
半年たったが、いまだ効果はない。
観音寺でさぬきうどんを食べつつ国道11号で豊浜町を抜け再び愛媛県へ。



↑銭形 写真じゃあよくわかんないね・・・(観音寺市:香川)

下の写真は国道11号の県境。
今年四月、「四国中央市」が誕生。

川之江市、伊予三島市、新宮村、土居町は消滅した。


↑国道11号「旧」川之江市(愛媛)・豊浜町(香川)境

合併で誕生する新市名で個人的にいちばんカンベンしてよー、
て思うのが、市名に「東西南北」やこの「中央」などの方角をあらわす言葉を使うこと。
確かに合併する市町村名のひとつを新市名にした場合
名前のなくなる自治体とのあいだで遺恨が残るってのはわかるけど・・・。「四国中央」はないでしょー!
この市の誕生で個人的にワーストだった「西東京市」(西か東かわからんちゅーに!)は首位の座を転落した。

この際だから言おう。師勝町と西春町!
「北名古屋市」だけはやめちくり・・・。たのんます。



↑旧伊予三島市、川之江市を国道319号から望む
製紙工場の煙突が見える


四国中央市を抜け、国道319号はぐんぐんと高度をあげていく。
峠の長いトンネルを越え、県道6号で別子山にむかう。
別子山村は2年前新居浜市と合併した。
村だった頃の人口は291人。青ヶ島村(197人:東京)富山村(212人:愛知)に次ぐミニ自治体だった。



↑旧別子山村役場前 県道47号(新居浜市別子山:愛媛)

別子といえば別子銅山。1690年に鉱脈が発見されてから
明治時代までの採掘場は別子山村にあり「旧別子」と呼ばれる。
大正時代から昭和48年の閉山までの採掘場は
新居浜市の東平(とうなる)地区とその周辺にある。
この日は「旧別子」の遺構を見るべく山の中を歩きまわった。



↑お酒の醸造所跡・・・?(別子山村:愛媛)


↑小足谷劇場跡 この山中にはかつて12000人が
住んでいた。劇場があるってことはこのあたりが集落の中心だったのかな?


旧別子への山道をひたすら歩く。
レンガ造りのイカした廃墟が次々に姿を現した。まだまだ道のりは長い。
30分ほど歩くと「ダイヤモンド水」といわれる湧き水があった。たまらずガブ飲み。
軽い気持ちで乗り込んだため、愚かにも水分を全く持ってなかったのだ。




入山45分後。道に迷った・・・。
おいおいまじでー。来た道を途中まで戻る。
見逃していた分かれ道を発見。
入山1時間後、別子銅山最初の坑口「歓喜坑」に到着。
やばいよ、日がかなり傾いてきた・・。

このあと少し「らんとう場」といわれる旧別子のメインともいうべき遺構を探したのだが、
結局みつからずじまい。
少し心残りだけど、もう充分堪能した。
よし、日が落ちる前に戻ろう!
帰りは下り。行きの3分の2の時間で県道まで戻れた。(それでも40分!)
往復2時間、山道(というより登山道?)を歩きどおし。
体は汗でぐっしょり。町に出たらまず銭湯を探さねば。



↑右手に村があった


↑「東坑」・・・だったかな?


↑江戸時代の最初の坑口「歓喜坑」
最近修復された模様 かなりへばってます



↑別に不機嫌なわけではない テンションは
高かったんだけどそれ以上にくたびれただけ・・・。
持ってる枝でクモの巣を振り払いながら進んだ




県道47号で新居浜市へ。市内で銭湯をさがしたが見つからない。
コンビニで聞くと「西条にあるのは知ってるよ」と言われ教えてもらう。
いざ
西条市へ。「ひうちの湯」で旅の疲れを癒されまくる。



↑ひうちの湯(西条市)

そのあと食事をしたり本屋に立ち寄ったりコインランドリーに行ったりして、再び別子山方面へ。
明日は東平地区の遺構が見たい。
道の駅マイントピア別子まで行き1泊。


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