羽山第二隧道と片洞門 (岡山県高梁市(旧成羽町域)) 場所はこのあたり |
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訪問したのは2012年9月下旬です。 2泊3日の強行軍で鳥取岡山と回ってきました。3日目のこの日は高梁市のホテルを朝早く出て ネットで知った「ある隧道」へと向かいました。 国道180号線を新見方面に北上→広域農道(かぐら街道)を経て、隧道がある県道300号へ。 ちなみにまだ川上郡成羽町だった頃(平成の大合併で高梁市に吸収された)、この近くの吹屋集落に行ったことがあります。 上の写真は県道300号のこのあたり。 宇治方面から南下すると、右手に島木川、左は断崖の完全1車線、いわゆる険道の鏡のような道が続きます。 しばらく走ると・・・ |
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これはすごい!オーバーハングしまくりの片洞門。ここまでえぐいのは初めて見た。 |
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もう一度言いますが、こんなえぐい片洞門、そうそうありません。 |
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また片洞門のあるロケーションがにくいです。出たとこには廃一歩手前のガーダー橋が架かり、その先は隧道が。 ここでタバコ2本はイケます(意味不明?) |
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銘板によると橋の名は「天龍橋」。昭和31年竣工とありました。 ちなみに横の新橋は昭和50年代だった気がします。 |
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羽山第一隧道。1919年の素掘りトンネルですが、坑門は改修され、内部もコンクリで塗り固められて特に見るべき部分はありません。 |
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隧道内部にアヤシイ穴が・・・ |
羽山第一隧道南側 |
石灰岩の断崖に沿って走ると・・・・ |
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羽山第二隧道 南側坑口 すごいでしょ? |
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右側が島木川、左側が崖になります。 ここは元々「穴小屋」と呼ばれる鍾乳洞でして、現在も左側の隙間から結構奥まで歩いて(かがんで)入ることができます。 隧道の竣工は1919年とのことですが、鍾乳洞をぶち抜く隧道を通すなんて今じゃ考えられないですね。 |
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隧道内部から南方向を撮影 正面の岩肌に何か「ラクガキ」があるの分かります? |
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南→北 の方向です。 坑口こそインパクトありますが、中に入ると普通の素掘りトンネルです。 |
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北側坑口 先ほどの片洞門よりは控えめな被さり具合ですが、 片洞門→隧道の連続性がとてもかっこいいです。 |
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「穴小屋」に少し入ってみましたが・・・ |
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懐中電灯を持ってなかったので、残念ですが10mほど入ってすぐ戻りました。 右の写真、通路のような人工的な盛り土が見えます? ネット上で拾った情報ですが、相当昔、この鍾乳洞はちょっとした観光地として訪れる人が結構いたそうです。 その時分に整備された通路なのでしょうか? |
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それでは先ほどの「ラクガキ」を見てみましょう。 心霊スポットの落書きとは種類が違いますよ。 これ、お店の広告と言うか、宣伝なんですよね。 まず赤字のものは 「庄クスリ店」 ググってもヒットしませんでしたが、クスリ店を「薬局」に変えると、倉敷市に同名のお店が今もありました。 同じ店なのかは全く不明です。 次に左上の白文字を見てみましょう。 「木口建設」と読めます。右の小さな字は判読不能ですが・・・。 ググってみると高梁市に同名の会社がありました。 もう一度小さな字を読むと(左下の画像が分かり易いです)なんとなく「高梁市」と読めますね。 |
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最後に黄文字のラクガキ。 縦書きで「武部」。隣の円で囲った中は「T.ONO」「M.SEJIMA(?)」と読める気がします。 これはなんだろ?観光記念のラクガキなのかも? 他にもほとんど消えかかった文字がいくつも確認できました。 いつの時代の「広告」なんだろう?おおらかな時代だったんだなー。 右の写真はもろ広告っぽいんですが、全く見当つきませんでした。 (※「ラクガキ」を非難する意図は全くありません。このような遠い昔の「宣伝広告」を通じて、道のたどった歴史的背景が想像できたら・・・という思いのみです。) |
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いいもんめっけ! 旧警戒標識、現在のびっくりマーク「その他の危険」の昭和46年以前のバージョンです。 |
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愚痴も言わずただ風雨に耐え佇み続けた40余年、お疲れさまです。 ところで何の「危険」を警告してるの? っとすぐに久しく見なかった民家が現れました。 |
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