瀬戸の地下軍需工場跡(愛知県瀬戸市上本町・小田妻町)

陶器の一大産地として知られる瀬戸市。
「瀬戸キャニオン」とも呼ばれる珪砂採掘場地帯の北西側に、
この戦争遺跡のある水野地区は位置する。

この地下工場は、「愛知航空機株式会社」が母体の、戦闘機を造る秘密工場。
昭和20年6月の空襲で破壊されたらしい。
内部は崩壊していて、現在は雑木林の中に入り口がいくつか確認できるのみである。

中水野町の風景 背後の森(うてな山)の中に地下工場があった

遺構の大体の位置は、事前に把握していたはずだったが、
全くそれらしき場所が見当たらない。
集落の狭い路地をさまよい、ある陶器工場で尋ねると、裏山に1つあるとのこと。


地元の方に案内してもらいたどり着いた、地下工場の入り口。
やぶ蚊が半端じゃなく飛んでいた。



数年前の写真では、鉄柵は設置されてなかったが・・・。


内部をフラッシュ撮影 完全に崩壊してました
カマドウマ君の棲み家として再利用されています


案内していただいた方に、小学校の裏山にいくつかあるよっと教えてもらった。
森の中を、クモの巣を振り払いながら進む。



この入り口が、いちばん大きかった。


内部は・・・、やはり崩壊&カマドウマ君がいっぱい



今年4月に鹿児島の防空壕跡で、洞内で焚き火をした中学生4人が一酸化炭素中毒で死亡するという、
なんとも痛ましい事故が起こった。
この瀬戸地下工場跡に関しては、柵は事故前から設置していたという話だが、
事故後新たに「立入禁止」の警告文を掲示して対応していた。

ここ数年で、明治〜昭和にかけて作られた建物が、「産業遺産」「近代化遺産」と評価され
自治体がようやく保存に力を入れはじめた。
だが、防空壕のような「戦争遺跡」は、まだまだ認知度が低く、
放置または取り壊されているのが現状のよう。
確かに古いモノをなんでもかんでも残していたら、キリがないというのも分かる。
ただ、やむを得ず撤去するにしても、その建物をある程度調査して記録に残すくらいのことは
各自治体で行って欲しい。
この事故以後、防空壕の取り壊し、埋め立てが加速するのは避けられないだろうから。


最後に、この戦争遺跡を見にいかれる方へ。

僕は水野小学校側から森に入ったのですが、実はこちら側から工場跡にアクセスするには
小学校の敷地内を通らなければなりません。
平日の昼間から汗だくで森をさまよっている男の姿は、怪しさ120%です。
(案内していただいた先生、ありがとうございました&スミマセンデシタ・・・。)
水野小方面から入るのは避けた方が良いでしょう。
森の南側に瀬戸市市民公園があり、簡単な案内板が設置されているようなので、
そちらからアクセスするのが望ましいです。
クモの巣を掃う棒切れを拾ってから入山することをオススメします。

この貴重な戦争遺跡を調査、保存されている団体があります。
僕もここで工場跡の存在を知りました。

「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」HPはこちら
当時、作業に従事していた人たちの証言集は必読です。







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