尾鷲隧道 国道42号線旧道

(三重県紀北町(旧海山町域)〜尾鷲市)


国道42号尾鷲トンネル(紀北町(旧海山町)側)と尾鷲隧道


熊野街道の他の明治隧道と同じ造りです


とんがった迫石がかっこいいですね




たぶん尾鷲隧道と書いてあるのでしょう
風化のせいもありますが篆書体なのでよりいっそう
読みがたいです







トンネル入り口に石版が・・・
「起工 明治四拾四年拾月
竣工 大正五年四月」


このトンネルは煉瓦、素彫り、煉瓦、素彫りを繰り返しています
素彫り部分のほうが圧倒的に長かった


内部の写真がなぜかピンボケばかりで使い物にならず、わかり辛いですが
左右の金具は上部に写っている半円アーチ状のトタン?を留めるためのものです
落石避けですね


碍子が落ちています



結構長いトンネルでした
200mくらいあったのかな?


この特徴的な退避坑は他の熊野街道沿いの隧道でも見ました


自転車の墓場になってたよ




尾鷲市側


こちらはなんとなーく読めませんか?


白看に今は亡き町の名が・・萌えます


絶妙にいい感じのの廃道加減です!

橋が架かってます 「牛谷橋」と読めます
はて、先の様子がおかしくね?


道が落ちてる!


いや〜ん


・・・こわ


実はこの崩壊知らないまま現地いったんです・・ここに廃隧道があるって情報のみで・・
橋の手前で崩れてるのは見えたけどこんなに華奢でヤバい代物だったとは・・背筋が寒くなったよ


振り返って撮影
橋の上はかなりの泥濘です フツーの靴だったので埋もれないようにと無謀にも欄干に体重をかけるような歩き方で
先端まで行こうとしたら、そこで初めて分かったヤばさ加減・・
先っちょで数枚撮ったあとは泥にもかまわず走って戻ったよ
おかげでジーパンは泥はねまくり・・このあとラーメン食べに行く予定なのにー泣

車まで戻って42号を走るドライバー達に晒されながら必死で背中の泥をぬぐったあとは・・
やっぱ崩落の向こう側が気になるよね?

向こう側です これが昭和40年代初頭まで国道42号だった!ダートです
紀伊半島唯一の基幹路線がこんな道だったんですねー

ダートは舗装路に変わり、ほどなく「向こう岸」に到着です


うひょ、これはひどい


この光景を先に見てたら橋の先まで行ってなかったと思います


この区間はとても有名なようで、検索するとかなりのレポートが出てきました
やまてつホームページさん(2001年)
ORRの道路調査報告書さん(?年)
うさネコサンドさん(2010年)
時系列順に読むと崩落に至る過程が分かりやすいです
それにしてもへなりさんのバイク走破はすげー
うさネコさんはどうやって下に降りたんだろう?

久しく廃道巡りから遠ざかっていましたが、この界隈は暇を見つけてちょこちょこ探検したいと思いました

おしまい


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2011年2月訪問