旅5日目 6月8日(木)

国道50号沿いのセブンイレブンで、午前6時頃起床。
まだ交通量の少ない県道68号で桐生市街に向かう。
かつて織物産業で栄えた桐生市は、近代化遺産保存の先駆となった自治体でもある。
市内のいたる所に三角屋根(ノコギリ屋根)の工場が存在し、往時を偲ばせている。


曽我織物工場 大正11年築
(桐生市本町:群馬)







北川織物工場(無鄰館 (桐生市本町:群馬)


トタンに描かれた偉人たちの似顔絵と名言の数々・・・




旧北川織物工場は現在、アーティストたちのアトリエ
「無鄰館」として再利用されている
なんて読むんだろう?むりんかん?



カッコよすぎる遺言 「インユーテロ」は時々無性に聴きたくなるんだな
横には「大笑い三十年の馬鹿騒ぎ 石川力夫 1926−1956」が・・・って無い無い(笑


さっき通った県道68号線を薮塚本町方面に戻る。
この道は桐生市と伊勢崎市を結ぶ主要道路だ。
走っていると「東村役場」の看板が見えた。
ここ佐波郡東村は、今年(H17年)1月に伊勢崎市と合併して消滅したのだが、案内標識は健在だった。
ところで群馬県には3つの「東村」がある。と言うかあった。
「勢多(せた)郡東村」、「吾妻(あがつま)郡東村」、そしてここ「佐波(さわ)郡東村」。
読み方も全て「あずまむら」だ。紛らわしいので、県内では「勢多東」「吾妻東」「佐波東」と呼び分けている。
佐波東が既に消滅し、残り2つの東村もH18年3月に姿を消す・・・。


佐波郡(旧)東村役場前 県道68号線(東村東小保方:群馬)

東村を抜け、伊勢崎市へ。ここも桐生同様に織物、特に伊勢崎銘仙という絹織物で有名な町だ。
市街はすでに通勤ラッシュが始まっていた。
レトロな佇まいの伊勢崎駅で立ち食いそばを食べる僕の後ろを、学生やサラリーマンたちがいそいそと通り過ぎていった。


朝の伊勢崎駅 駅舎は昭和9年に建てられた(伊勢崎市曲輪:群馬)


伊勢崎のシンボル、旧時報鐘楼は大正4年の竣工(伊勢崎市曲輪:群馬)



現在は鐘が外されていて
時報塔の役割は果たしていない


伊勢崎の市街から、国道462号、354号で玉村町へ。相変わらず道は混雑している。
途中、県道40号線に折れ、多野郡新町に入った。
しんまち。なんとシンプルな町名だ。
この町も地図で見て一目惚れしてから、訪れたかった町。
埼玉県との境にちょこんと位置するミニ町・新町は面積3.74平方キロメートルと、関東一小さな自治体。
この町には明治時代、日本初の絹糸工場が建てられた。カネボウ新町工場の敷地内に
当時の赤レンガ倉庫が残っているらしいのだが、外からでは見えなかった。

関東一のミニ町は平成18年1月23日、高崎市と合併し消滅する・・・。


小さな小さな多野郡新町 英語表記はシンマチタウン? 
道は県道178号線(新町第二区・高崎市立石新田境:群馬)



新町役場 閉町まで秒読み・・・(新町第四区:群馬)


県道40号(新町第十区・藤岡市岡之郷境:群馬)


新町をあっという間に抜け、藤岡市へ

藤岡市に入り、市街を抜け、迷子になりつつも県道41号線で吉井町へ。
ここからは国道254号線でひたすら長野県を目指すこととなる。
吉井町から甘楽(かんら)町へ。

甘楽町の小幡(おばた)地区は織田信長の次男、信雄ゆかりの小さな城下町。
町を流れる用水路・雄川堰(おがわぜき)は名水百選に選ばれている。
やわらかな陽射しのなか、古い家並みの残る小幡を散策。
地元の園児らが、遠足だろうか?保母さんに連れられて賑やかにやってきた。


城下町・小幡の雄川堰は名水百選のひとつ
道は県道46号線(甘楽町小幡:群馬)



「町内の協議?????、押賣り物もらひ等
一切謝絶し候  第一區」


シンプルな電話番号!


さて、スーパーマップルで甘楽町のところを見ると「日本一の磨崖仏」という
気になる文字が目に入った。
そんなわけで、小幡の集落を少し南下したところにある長厳寺にやってきた。
確かに磨崖仏の看板がある。寺の門をくぐり半ケモノ道を蜘蛛の巣と格闘しながら登ると・・・。

顔でかっ!てゆうか顔だけかよ!


日本一の磨崖仏 造られたのは昭和60年ごろとごく最近。
歴史が浅すぎるからなのか、甘楽町のパンフやHPを見ても紹介されていなかった。(甘楽町小幡:群馬)

甘楽町から県道46号線で富岡市へ。富岡製糸場に到着。

富岡製糸場については、小学校の社会科で登場するほど知られた建物だ。
時は明治5年、フランス人技師を招いて建てられた、当時の日本としては超弩級の西洋式生糸工場。
最初は官営だったが、のちに民間に払い下げられ、現在は片倉工業という会社の敷地内にある。
そのため、これだけ有名な建物にもかかわらず、見学可能な部分がかなり制限されていた。


富岡市内の国道254号線


旧官営富岡製糸場(富岡市富岡:群馬)


繭の保管倉庫 とにかく横に長い!
この倉庫は東西に一対づつあるが、見学できるのは東棟のみ







富岡製糸場を世界遺産にしようという動きがあるらしい
町のあちらこちらにPRのノボリが立っていた


富岡市から国道254号を走り下仁田町方面へ・・・と思ったが、並行して走るマニアックな県道193号線が
地図に載っていたので、そちらをグネグネと走り下仁田入り。


県道193号線(富岡市野上・下仁田町馬山境:群馬)



県道193号線から下仁田町を望む
(下仁田町吉崎?:群馬)



下仁田町は群馬の西のはじっこ。この町を過ぎれば長野県。
長野に入ったらあとは一直線に帰路につく予定だ。
下仁田町といえばネギとコンニャクの名産地。
国道沿いの「こんにゃくの関所」なる名前の食堂で昼食。


国道254号沿いのこんにゃく屋さんで昼食






味噌おでんに刺身こんにゃく
他にソバとごはんとあとなんだっけかなー
格安食堂なのに千円以上食べたっけ 



国道254号線 長野県はすぐそこだ(下仁田町東野牧:群馬)


「荒船の湯」という温泉で旅の垢を落とす
そういや昨日は風呂はいんなかったんだな
(下仁田町南野牧:群馬)

国道254号はいよいよ県境に近づいてきた。
トンネルで快適に峠を抜けるのも味気ない。
ということで、旧国道の峠道をのんびりと森林浴ドライブ。


国道254号の旧道 古びた看板が残っていた


方面を示す白い看板は昭和46年?以前に設置されたものだったかな?
この道が現役だった頃を想い、感慨にふけった
ちなみに「中込」とは佐久市中心部の町名
(佐久市初谷?:長野)


旧国道は県境を越え現道と合流。長野県佐久市の市街に入り、国道141号線を北上。
今旅最後のスポット、小諸城址は懐古園を目指す。


佐久市内国道141号線 (佐久市岩村田:長野)


ここはどこだ?写真を撮った場所は意地でも突き止めるボクだが、
これは結局わからなかった・・・
おそらくは旧国道141号 小諸市三岡駅付近か??

佐久市北部で国道141号から旧国道へ逸れ、午後4時過ぎに小諸市の懐古園(小諸城)へ到着した。
駐車場はガラーンとしていて、お土産屋さんは全部シャッターをおろしていた。はやいなー。
受付のおばちゃんに「いまからだと、駆け足じゃないと全部回れないよー」と言われたので
まず、5時に閉館する郷土資料館と藤村記念館を訪ねた。
小諸城を「懐古園」と呼ぶようになったのは、明治に入ってからのことらしい。
今でいうところの市民公園みたいな位置づけだったのかな?
小諸に6年間滞在した島崎藤村の、直筆原稿や手紙が公開されている藤村記念館。
彼がしたためた親類への居候のお願いや、友人に宛てた手紙は、とても興味深いものがあった。


懐古園にて 小諸城天守閣の石垣(小諸市丁:長野)



小諸なる古城のほとり、雲白くなんちゃらかんちゃら
小学生の頃、意味も分からず暗記させられたなー


懐古園の展望台から、藤村が詠った千曲川を見下ろしていると、水田に西日がキラキラと輝いているのが見えた。
ああ、あそこに行ってみたい。

で、あとからクルマで行ってみた。
写真はうまいこと撮れなかったので載せないけど、
西日に照らされた風景って本当にステキだ。
あの黄色くほんわかやわらかい光にかかれば、どんなものでもどんな場所でも美しく見えてしまう。


西日は夕日へと変わり、コンビニでお腹を満たした僕は
だんだんと意識がまどろんできた。

Zzzzz・・・




うわー、まどろみすぎたー!もう10時じゃん!
とまあでも明日まで予定は空けてあるのでだいじょぶだけど。

この先はひたすら我が家(愛知県尾張旭市)に向けてクルマを飛ばして旅は終了。
なんだけど、僕のコダワリ、通過した全市町村を書き記さずにはいられない!ので
以下羅列モード全開で飛ばします。

小諸市から再び佐久市へ戻り、県道44号で北佐久郡旧浅科村(H17年4月佐久市と合併・消滅)へ。
浅科で国道142号に乗り、旧望月町(H17年4月佐久市と合併・消滅)、立科町を通過。
小県郡長門町、和田村(H17年10月、2町村の合併で長和町に)を抜け、
有料道路新和田トンネル・・・なんか通らずに旧道の和田峠をトラックの列にまぎれて越える。
ちょっと書くと、この峠道は一種独特の空気が漂っている。
1.5車線の狭いグネグネ道なんだけど、新道が有料のためこの旧道で迂回するクルマで大混雑なのだ。
しかも大型車が異様に多い。そしてここを通る大型のドライバーのテクは凄い。
狭いカーブが続く山道を、巨大な躯体に鞭を入れて絶妙なライン取りで上ってゆく。
しかし、ドラテクだけでは大型車がこの峠道を越えることはできない。
頻繁にガチ合う対向車の譲り合いが不可欠なのだ。
9割方のドライバーが対向車を気遣った運転をしていて、とてもスバラシイ。
たまーに空気読めてないクルマが突っ込んでくるが、僕の前のトラックはガードレールのギリまで華麗に寄って
やり過ごしていた。

その和田峠を越えると国道142号線は諏訪郡下諏訪町へ。
ちょっと諏訪湖を見ながら一休みしようと、県道経由で岡谷市の湖畔へ。

諏訪湖畔で小休止 この旅最後の写真す
今知ったんだけどこの場所の住所は「岡谷市湖畔」とそのまんまの地名(岡谷市湖畔:長野)


名所や町々をのんびりゆっくり巡る旅が、ここ数年の僕の旅のスタイルなっているが
以前はただただ遠くへ行きたい!と昼夜を問わずひたすら走り続けるという感じだった。
そして今でもこの日の帰路のように、好きな音楽を聴きながら、またはその地域のラジオ番組を聴きながら
闇夜の幹線道路を黙々と走り続けている時が、すごく楽しい。
そして自販機の明かりに吸い込まれ、タバコに火を点け、缶コーヒーを飲みつつ、目の前を走り去ってゆく
テールランプを見送る。こんな瞬間、なにがいいのかうまく言えないが、イイんだ。こんな旅が。

この先岡谷市から国道20号で峠を越えて塩尻市へ。
塩尻でラーメン食べて国道19号をひたすら南下。
山深い木曽の小さな町々を貫く、「眠らない国道」19号線は、夥しい数の大型車を名古屋方面へと導く。
楢川(ならかわ)村(H17年4月塩尻市と合併・消滅)、木祖村、
日義村
(H17年11月合併により木曽町)、木曽福島町(同)。
大桑村、南木曽町。そして・・・旧山口村・・・中津川市に吸い込まれて岐阜県になってしまった山口村を通過。
ちなみに塩尻市から岐阜県中津川市(の中心)まで深夜で1時間40分くらい。
途中道の駅がいくつかあるが、平日深夜は完全にトラックステーションと化しており、
車中泊はほぼ不可能(排ガス云々以前にとめるスペースが無い)です。

ここまできたらもう帰ったようなもの。
ヒサビサの長旅だったが、楽しかったなー。それももうおしまい。

恵那市、瑞浪市、土岐市、そして多治見市
トンネル抜けると愛知県春日井市。国道19号にサヨナラして
高蔵寺経由で名古屋市守山区
守山区吉根(きっこ)のジャスコ横を通って
無事、帰還。



おしまい。


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