伊世賀美隧道(旧伊勢神トンネル)
(東加茂郡足助町←現豊田市:愛知)


旧伊勢神トンネル。
愛知県に住んでいる人なら、一度は耳にしたことがあるほど有名なトンネルだ。
13年前、スクーターという機動力を得た僕は、学校をサボってはそこらじゅうを走り呆けていた。
ある日国道153号線を行けるところまで北上してみようと、その途中に偶然地図で見つけたこのトンネル。
杉林に囲まれた薄暗い山肌にポッカリと穴を開けているその姿は、僕を躊躇させるのに十分だった。
数分間の逡巡ののち、意を決し、頭をかがめて突入した僕の背中に漏水が滴り落ちてきた。
トンネルを抜けたときの高揚感は、懐かしい想い出として現在も体が記憶している。


伊世賀美隧道 足助町側

旧伊勢神トンネルは、県内はもとより日本でも有数の心霊スポットとして名を馳せている。
「出る」かどうかは霊感のない僕にはサッパリだが、
肝試し目的も含めて20回は訪れているにもかかわらず、僕も連れも一度も遭遇したことがない。
もちろん、帰路で事故に遭ったなどといったことも皆無だ。





立派な偏額はのちに付け替えられたっぽい

国道153号線は、実に様々な呼び方をされている。
「中馬街道」「飯田街道」「三州街道」「伊那街道」「塩の道」・・・他にもあるかもしれない。
中山道の脇往還として、主に通商関係の人々が行き交う道として利用された。
その街道の難所のひとつが伊勢神峠だった。
むかし、伊勢神峠は「石神峠」「石亀峠」などと呼ばれていたが、
伊勢の海を見渡せる眺望の良さから、江戸末期には「伊勢拝み峠」と名づけられ、のちに「伊勢神峠」となった。


坑門も内壁も総石積み 
せり石は二重に巻かれている



全長308m 

明治期に入り、交通形態の変遷と共に、この街道も改修の必要性に迫られた。
明治10年代から街道の拡幅やルート変更の工事が始まり、
旧伊勢神トンネルは明治30年11月27日に完成。
長さ308m、高さ3.3m、幅員3.15m。
トンネル開通は街道の勾配を緩やかにし、交通の往来を易しくした。
この頃は馬の背に荷を乗せる輸送方法から、馬車や牛車に変わりつつあった。





当初の工事計画は、煉瓦で巻きたてるというものだった。
しかし、地質が軟弱で、湧水による崩落の危険が問題となったため
花崗岩による石巻きに変更したそうである。


稲武町側






明治44年、中山道沿いの中央線が全線開通し、馬車輸送主体のこの街道は廃れつつあったが、
昭和に入りトラック輸送の時代が来ると、再び重要な路線として利用されるようになった。
しかし戦後の急速なモータリゼーション化に対応するには、このトンネルは荷が重すぎた。
荷物を満載したトラックが、トンネルの高さに引っ掛かり立ち往生、なんていったこともしばしばあったようだ。

昭和35年5月31日、新しい伊勢神トンネルが開通し、旧トンネルは現役を退くこととなった。





旧トンネルに至る道

2001年、旧伊勢神トンネルは国の登録文化財に指定された。
しかし心霊スポットの宿命なのかも知れないが、そこかしこに描かれた夥しい落書きには閉口してしまう。

学生の頃は友人やバイト仲間と、夜な夜な意味もなくドライブに繰り出していたが
伊勢神はちょうど良い距離にあるため定番のスポットだった。
今回は3年ぶりほどか、ヒサビサの伊勢神詣となった。
初対面ではおどろおどろしかったこの穴も、今では旧い友のようにさえ感じる。
「よっ、久しぶり!」といった具合だ。
写真を撮る手を休めて、懐かしさに浸りながらタバコをふかしている僕の前を
郵便屋さんの赤カブが颯爽と走りぬけ、トンネルに消えていった。
洞内に響くエンジン音はやがて聞こえなくなり、トンネルは再び静寂に包まれた。




参考文献
「愛知県の近代化遺産」
「稲武町史」
(2006年4月訪問、公開)

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