郡界橋(旧県道米野木・莇生線)  〜愛知池に眠る小橋〜 

愛知県日進市米野木、西加茂郡三好町黒笹境
(H17.6.15 撮影)
 
日進市、東郷町、三好町の3町の接点に位置する人造池、愛知池は1961年(昭和36年)に
愛知用水の調節池として造られた。
愛知用水は、長野県王滝村の牧尾ダムを水がめとし、岐阜県八百津町の兼山取水口を経て
木曽川の水を愛知県三河地方、知多半島に送る長大用水。
愛知池を通り知多半島へ向かう用水の本線からは、支線が無数に伸び、広大な地域を潤わせている。
愛知用水の水量調節や、水流の緩急の調節を目的に造られた愛知池。
池が出来る前はどんな土地だったのか、三好町誌に記載されている当時の地図を見ると
小さな池が2つと、その周りには田んぼの記号が描かれている。
そして三好町黒笹(くろざさ)の集落から日進市(当時は愛知郡日進町)米野木(こめのき)にかけて
1本の道が描かれている。この道は現在も県道231号米野木莇生(あざぶ)線として
同じルートを通っているが、三好町と日進市の境付近は現在より数十メートル南側、
つまり現在の愛知池の北端を通っていた。
当時の町境には小川が流れていたらしく、それを跨ぐ橋がこの「郡界橋」だった。
郡界橋は普段は湖底に眠っているが、5〜6月の水量の少ない時期にその姿を見ることが出来る。


郡界橋・・・昭和8年竣工 県道米野木莇生線の一部
橋長6.1m 幅員5.5m(三好町誌2巻より)
水没時期は、愛知池が完成した1961年(昭和36年)と推定される。
名前の由来は文字通り愛知郡(日進)と西加茂郡(三好)の境から。
ちなみに、愛知郡と西加茂郡の境は単なる郡境ではなく、尾張と三河の境でもある。


「郡 界 橋」 と、現在もかろうじて読むことが出来ます。
愛知池、全然水がありませんでした。草が生えまくってますね。


上の写真の反対側です。
こちらはひらがなで「ぐんかいばし」と彫られています。





日進市側から三好町側を撮影。
橋の前後には縁石が一部残っていて、当時の道筋がなんとなく分かります。
上を跨いでいるのは名鉄豊田線。豊田市から日進市赤池駅を経て
地下鉄鶴舞線となり、名古屋の中心部まで繋がっています。


地図中心〜下部の池が愛知池です。
左側が日進市で右側が三好町。下が東郷町諸輪(もろわ)地区。
青い道路は東名高速


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